5 弁護士の処世訓 (『法律学楽想』p258〜264)
テクニックは極力使わないこと。
弁護士は霞を喰って生きているのではない。綺麗事ではすまされず、事件や顧問先を得るためには世智にたける必要があるのかもしれない。
確かに依頼者の心を的確に読み込んで有無を言わせず、思わず息をのむような費用、報酬を得る弁護士を目のあたりにすると、そして依頼者が喜々として支払い、支払うことを喜びとしている様をみると「うまいもんだ」とうやっかみの一言も出ようというものだ。
また、明らかに失敗でより多くの利益を依頼者にもたらし得たはずの事案で報酬は遠慮されるのかと思いきや、困難を極めたものの、ここまで成果が得られたとして、事案相応以上の報酬をとられるのを見るとナルホドというしかない。
受けた事件が依頼者の要求は厳しいうえに非協力、証拠集めにさえ弁護士を使いだてにするうえ、相手方の弁護士も議論が噛み合わない。いつまでたっても事件の終結の見通しが立たない、すなわち労多くして功少なしとみるや事を構えてサッとそれこそ有無を言わせず事件を降りる手際の鮮やかさに舌をまく弁護士もある。
刑事事件でも、これとこれとこれやって実刑なら仕方ないよな、俺は弁護士として尽くすべきを尽くしたよなと高校生が考えてやる程度のことを仰言る先生等など、採算合わせの世智を働かせているのではないかと疑う事案を見受け、いつもは真面目にみえる先生の変わり身の速さに驚くこともある。
しかし、こんなこと、こんな弁護士は語り種になるほどのレアケースである。
友人、知人の誰彼と話していても、ほとんどの弁護士はそんなテクニックを使わず、「そんな事件あるんだよな」と泣きたいような状態を辛抱して最後まで職務を全うされ、自分の仕事に対して「先生のあのお仕事がその額で良いのですか」と悲しくなるような少額の着手金、報酬しか請求しておられないことが一般である。
珍しく、若い弁護士が気持ちを開いてくれて自分の事務所の依頼者向け報酬案内を見せてくれたが、僕よりも相当高額であった。若い諸君の報酬感覚に「俺もあれ位請求したいな」とうらやむこともある。
我々が若い頃、老先生が「近頃の若い奴は金を高くとる。ロクな仕事もできないくせによくあんな金取るよ」と若い弁護士の費用報酬は高いと文句をいっておられたのを思い出して、因果は巡る糸車と今苦笑いしている。自分につける価値に多少の高安はあるとしても、正当な費用報酬は請求すべきである。
しかし、弁護士と依頼者は委任関係ではあるが、実態としては請負的側面もある。建設業者が請負を「請け負け」と読み、一旦仕事を請負った以上地盤が悪くて出水したとか色んな困難があっても、仕事は完成せざるを得ないと泣き言をいうのを聞いたことがある。それと同じで我々も骨惜しみの、あるいは費用増額のテクニックを使うことなく泣きながら黙々と仕事を仕上げることになるのだと思う。そうすると、身体はきついし思い悩むことも多いが、気分は甚だ爽快である。それに、それでこそ弁護士が鍛えられ、次の受任が慎重に多くの要素に目配りした上で行われることになろう。