3 僧侶である (『法律学楽想』p151〜153)
かつて僧は、僧であると共にというか、僧であることは即ち総合科学者であり実務家であった。
現世的利益をもたらすことと精神世界の救済とを兼ね備えていた。仏教の伝来は建築技術、農業事実、薬学、医学等多くの実用知識が経典に含まれ、あるいは経典と共に科学技術が輸入されたのであって、その全ては僧の教えとして実利をともない現世的利益をもたらした。だからこそ経典にいう精神の救済が可能であったと思われる。今、宗教が世俗と精神世界との分断により精神世界にのみ存立の場を求めるが故に旧来の宗教がその光を失ったのではなかろうか。これに代わって信仰される新々宗教やオカルト宗教は昔日の宗教がもっていた世俗的利益を視野に入れての信仰を提案し、あるいは現世を無視してひたすら精神世界に没入することをすすめていて、信者が、精神世界、世俗生活共々に障害を被っているのではないかと疑われる活発な宗教的状況にあることが現状かと思われる。
弁護士は、「儲かる方法」というのか、社会的に、より適応し易い生活の指針を示しながら生活障害に苦しむ人々に生きる勇気を語りかける、かつての僧侶の役割を持っているのではないかと思う。このように少なくとも生活指針という形で依頼者の精神生活についても、少なくとも依頼の範囲においては対応しうる弁護士でありたい。あくまでも事案の解決に即した、すなわち依頼の趣旨に添った範囲内のことであるとしてもである。