曽根弘陽君

何でこんなに早く逝ってしまうんだ。

ボクにとっての君とのバランスシートは負債の部ばかり残ってしまったではないか。

高校一年の夏休み、休み中の報告で君がシュラフ担いで都井の岬まで自転車で往復し、砂利道にハンドルを取られたり、急な坂でブレーキがきかなくてなるなど怖かった思いを語ってくれたこと 君の冒険心と勇気を想い出す。



担任の園山謙二先生が、県音楽文化賞を受賞された時、君は先生に受賞のお祝いを云い、その上受賞の記念に我々に一曲を、と乞うた。

先生はニッコリとされ、ハチャトリアンの「剣の舞」という曲を弾いて下さった。先生の、髪振り乱し汗を飛ばして演奏される表情と、君の洗練された行動と その行動に包まれた強烈な曲は今でも鮮やかに思いだされる。



君は登山部で鍛えた強靱な体力を持ち、生徒会活動も怠らずそしてやがて東京大学への入学を果たすだけの成績を収めていながら、決して他の人をそらすことが無く皆に親切だった。

クラスの、学年の指導者として在学中も卒業後も我々を思いやってもらったこと、嬉しく感謝している。



同じ時に 同じ宮崎の 同じ空の下で 君と同じ空気を吸ったこと語ったことそして「黒潮岸を洗い、日の輝くところ・・」同じ宮崎県立 宮崎大宮高等学校校歌を歌ったことを嬉しく誇らしく思う。



今、君から 校友から得た多くのことを糧として町の片隅でささやかな生を盗み得ている。



曽根君 ありがとう。さようなら。 

                                   平成20年1月18日 
                                   内 野 経 一 郎