法の目的と法価値序列


 法の目的については法哲学者の間で争いがあるが、私が学んだ頃の通説は、

 法的安定性正当性目的合理性

 の三つの価値の実現が法の目的・法価値だとしていた。(峯村光郎による)。

 法的安定性というのは秩序の維持であり、
 正当性というのは正義の意味であって公平を旨とし、
 目的合理性というのは具体的妥当な納得のいく結論を意味する。

 この法哲学上の価値のどれを上位におくか。
 ソクラテスは「秩序の維持」を最上に置いたればこそ、獄中に毒杯をあおったという。

 この法価値の序列をどう考えるかによって解釈の基本的考えが異なってくる。

 我妻先生は、法的安定性を最上位に置かれ、川島先生は私権、正義を重視する立場で解釈学を構成されたところ、
星野栄一先生は両先達と異なり、第三の価値たる目的合理性、即ち具体的妥当性を法価値の最高序列において
解釈学を組み立てられているのではないか。そして、その弟子にあたるという内田・大村先生は星野先生の考えを
承継し、具体的妥当性を追求しながら精緻な論理体系を組み立てようとしていると聞く。

 特に、ドイツ流の演繹的な思考形式で長らく通説の地位を占めてきた我妻民法学に対して、
英米法やフランス法の視点から内田・大村の両先生が敢然と立向かい、いまや通説たらんとしている。

 このようにして、学者がそれぞれの視点から法文を矛盾なく体系化、解釈してきた集大成が教科書なのであるから、
教科書の理解が我国の法解釈学の水準を極め、法解釈学の学問理解の捷径であり、それはまた即ち、司法試験を
受験する場合でも合格する正道でもあろうかと考えている。

 もっとも、体系不要、アメリカ流のプラグマティズム法学という、従来のドイツ観念論の法体系を否定する新たな発想の芽もある。

 体系なくして学問たりえるのか、学−知はあってもその体系の必要性はないとするならば、
学ぶ、あるいは知の獲得の方法論も異なってくるだろうから、私の語りえるところではない。

 若き学徒諸君に教えを乞うておく。