法解釈学の大切さ


 浅沼稲次郎(政治家1898〜1960)の暗殺をきっかけに、
テロ防止のための「政治的暴力防止法」という法案が提出されたが、
60年安保闘争中の出来事だったことから、この法案はたちまちにデモの洗礼を浴びることになった。

 ただ、法文を読んでみると実に素晴らしく、人々が何故反対するのか、私には理解できなかった。

 ところが、反対集会で当時の法政大学教授、吉川経夫先生がこの法文を解剖して読み解いてくださるのを聞き、
いかに自分の法解釈力が未熟化を思い知らされた。
 
 「この法律で労働組合を取り締まることはできても、
  テロ防止には何の役にも立ち得ないことを、
  私は刑法解釈学者として、責任をもって申し上げます」

という先生の言葉で、「法解釈学」という言葉が燦然と輝き、天の啓示を受けたかのようであった。

 パンにありつきたいばかりに字面の講釈を覚えるため、
 貴重な若い時間を無意味にすり減らしていたのではないか、
 解釈なんて学問ではないと蔑んでいたのが、

 そうだ、俺は生涯をかけて法解釈学に生きようと、「法解釈学」が生き生きと輝き、
 学び、生きる希望が湧いてきて、いつの日か吉川先生のように確信に満ちて、
 「法解釈学として責任を持って」と言える日を迎えたいものだと思った。

 そして、来年には喜寿を迎えんとして、当時の吉川先生の年齢をはるかに超えたが、
「法運用の実務担当者として責任をもって」と言い得ようか。


 更なる研鑚を積み、いつの日か吉川先生の顰に倣いたいものだと思っている。