仰げば尊し 我が師の恩

                       

仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも 早や幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ 別れめ いさらば

卒業式で近頃は「蛍の光」も「仰げば尊し」も 歌はず
私の知らない「さくら」とか「贈る言葉」とかいう軽やかな流行歌で
別れを惜しむというより 旅立ちを祝うのだそうだ。
時の移ろい、善し悪しを言うまい。
池田学園は 卒業生の水之浦啓介君と愚息令四郎の御縁だ。
同君を励まし「わが師の恩」を語る。

私は小学校の中村誠先生を慕い、長じても御指導を頂いた。
ある時先生が 「安保反対のデモにいくぞ!と言うと 国語や算数を教えるのに安保が何か関係があるのですか?と言う。教師は師範出でなきゃいかん!子供をどんな人間に育てるのか、東京の私立大学を出た奴らは、理想も情熱も持っておらん!」とご立腹であった。
そこで「先生はどんな人間にしようと教育されたのですか?」と問うと「俺は、俺はなあ 自分の思ったことを思ったように言う奴を育てている」とのお答であった。
「坊っちゃん」はガキの時分から 無鉄砲で損ばかりしていたそうだ。
無鉄砲は 鉄砲という「用心」なしに好きなことを言い、好きに行動することらしい。
中村誠流無鉄砲の成果か、私は今も貧乏と仲良しだ。それでも尚、私には中村誠先生を恩師とした誇りと喜びがある。

池田学園の先生方が 卒業生に「こんな人生を送れ、こんな人間になれと 俺の全人生を賭けてお前らに教えてきた 「身を立て名をあげ やよ励めや」―自立でき、人に知られることがあったとしてもそこで留まるな、命尽きるその日まで池田学園で学んだ志を持ち続けよ!−」と 強烈な自負と誇りを持って教育に当たられんことを。
そして卒業生が先生方を「仰げば尊しわが師の恩」 と心から歌う 
そんな学園であって下さい。

2010年4月
鹿児島市加治屋町 池田学園『学び』に寄稿
掲載誌には変更あり。