安部敏広君 結婚祝詞のこと
平成22年4月16日


【安部敏広君 結婚祝詞のこと】
3月20日,我が事務所安部敏広君が同期修習の弁護士さんと結婚しその披露宴をした。
挨拶を求められ,そこで梅田信,夫,梅田雲浜の歌を紹介した。
 後日,安部君が「もう一度,歌の内容を教えていただけませんか?」と問う。
言ったことは忘れたが,その心は別紙の通りだ。
 
【梅田信のこと】
 梅田信は梅田雲浜の妻である。梅田雲浜は幕末の儒学者であり尊王の志士であった。
 我国1900年の歴史は,天皇が民の為に祈り,民を愛しみ,民は天皇を敬愛するという国の歴史であった。梅田雲浜,信の生きた幕末という時代はインドシナ,フィリピン,と植民地化し,アジアの有色人種を虐げた白人が今,我が日本に迫らんとする時であった。特にアヘン戦争で清国がイギリスに破れた。白人国は金儲けのため圧倒的に優位な近代化学兵器で抵抗を廃除し,有色人種をアヘンを以って廃人にする。そんな実態を知りながら,これになす術のないのが幕府である。日本国民が侵略の危機ある今,国がまとまるためには藩をこえ天皇をたて一致団結して尊王を旗印として外国と闘う攘夷でなければならない。まさに皇国を汚すものであり,幕府にして為すところならば,国を護るために自ら命を捨て立ち上がろうとしたのが志士であり,雲浜もその人である。自分顧みることなく人生の全てを国に捧げんとする。そんな雲浜の志に惚れ込んだのが妻,信である。
 信もまた自分を顧みることなく全人生を夫,雲浜に捧げる。雲浜も妻のその心根の優しさに応えて信を愛しんだ。
当時京都に住んだ雲浜は,大阪にロシア船至るの報に接して,徒手空拳これに立ち向かおうと京都を発つ。

妻は病床に臥し 児は飢えに泣く 
身を挺して直ちに戎夷を攘はんと欲す
今朝死別と生別を兼ぬ
唯だ皇天后土の知るあり


と。
 大阪に至った時,ロシア船は既に発ち,虚しく雲浜は帰宅した。
 しかし,信は病を得て夭折し,やがて雲浜は安政の大獄で逮捕第一号として獄死することとなる。

君が代を思ふ心の一筋に
   吾が身ありとは思はざりけり


 民を愛しむ「君が代」我国の歴史と伝統を守る為我国民を愚民化,奴隷化しようとする戎夷(白人)とその脅威から国民を護ろうとしない幕府(政権)と争うのなら吾身をありとは思はない。そんな夫への献身こそが自分が女として生まれた最大の義務であり喜びであり,生きる誇りである。雲浜の妻として尽すこと自体が人生の全てであり幸せであった。
信は,

風ふけば茅が軒端も匂ふなり
   冬木の梅は早咲きにけり


と夫を讃え,

樵り置きし軒の積木も焚きはてて
  拾ふ木の葉の積もる間ぞなき


 焚木どころか落葉さえ拾い尽くして焚けない極貧のなかにあって尚,

事足りぬ住居なれどもすまれけり
     われを慰む君あればこそ


と,いたわり愛しんでくれる夫への愛を詠います。
 
 新郎安部敏広君が弁護士という,国家が授けた「法の運用」という職責を,依頼者に至誠を以って仕え,己を虚しゅうして法の運用を通じて国家社会に尽し,それを支えてくれる妻に限りない感謝と愛情を以って応え,雲浜,信の持った高い精神性を持って琴瑟相和し,「おまえ百までわしゃ九十九まで」末長く幸せな人生を送られんことを願ってお祝いの言葉と致します。

 この原稿を梅田雲浜の故事を聞かせて下さった,伝承文化研究所,小林隆さんに見せたところ,雲浜を話題にしたことを多としながら,「先生,新家庭を祝う先生の和歌が無い」とやや不満気であった。
 そこで,歌にはなってないが生まれて初めて作る「和歌もどき」を安部君御夫妻に捧げる。

国生みの古事記の故事もあるぞかし
祖国と安部といや栄あれ